San Franciscoへ行く(2/16 – 2/19, 2001)

February 16, 2001
Title: Last Train
11:55pm
Metro Rail Red Line の終列車Union Station行きに乗る。この時間に乗るのは初めてだが、各駅は清掃時間のようで、駅に人がいるので意外と安全。と思いたい。
February 17, 2001
Title: Northbound Train
0:25am
Union Stationに到着。思っていたより人は多い。深夜Bakersfield行きやLas Vegas行きのバスが出るようだ。いつもの売店とベーグル屋さんはおやすみ。時刻表を忘れてきたので窓口でもらう。改めて時計を持ってないことに気が付いた。
1:35am
Bakersfield行きのバスにのる。暗闇を走るのでどこを走っているのか全然わからない。車内はスペイン語率高い。
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Bakersfieldに到着。時刻表通りだと4:00くらいかな、凄く寒い。列車は着いているが30分くらい待たされ、ようやく乗車。Amtrakはとても綺麗な客室に驚いた。座席も広くてグリーン並。普通のCOACHなので多少辛いのは覚悟していたのだが、予想外の快適さに少し拍子抜け。車内は英語の割合が高くなっている、普通の人は直接車でBakersfieldまでくるのだろう。
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何時かわからないが夜が明けている。Fresnoという駅に到着。あと何時間かかるのだろうか。列車はとてもゆっくり進む。
11:00am
列車はバスへ乗り換えるEmiryvilleに到着。バスでダウンタウンのFerry Buildingに移動。11時間かかったが、想像よりずっと快適であった。夏期に広島を1:00amに出て京都に6:00amに着く電車があって、なんとなくそれを想像していた。そのときは熊本からずっと電車に乗っていて既に辛かったが、人が溢れている車内で通路に座り込んで終着駅まで耐えた。家族で通路に座り込んでいる人もいれば、新聞紙を敷いて寝ている人も沢山いた。いつの時代か判らない電車だった。
12:??pm
San Franciscoの街はLAよりきれいだ。ホームレスは圧倒的に少ない。普通の都会な感じ。警察は少ない、人も歩いている。雨が降ってきた。Cable CarでChina Townへ移動。食事の前にお土産を物色。中華パワー強烈。Bank of Americaまでが黄色い瓦葺きの屋根をしている。
2:??pm
雨が強いのでホテルに移動。チェックインをしようとするが、別のホテルに着いてしまったようだ。Holiday Innはいくつかあるようだ。タクシーを頼んだがなかなかつかまらないので、別の客が頼んだ空港行きのヴァンに便乗させてもらうことにした。現金はあまりなかったので心配になり、値段を確認した。というよりは「タダだよな?」と訊いた。「普通は$15だけど$10でいい。」というので「Cable Carだって$2だろ?悪い、あまり現金がないんだ$5にしてくれ。」と$5にしてもらった。約束通り途中で降ろしてもらう。
3:??pm
ホテル着。Kenがこの週末は3連休で、ホテルはどこもいっぱいだというので珍しくホテルは予め電話で予約しておいた。on-lineで予約できるホテルだけだが、webで調べてみるとたしかにMotelまで埋まっていた。帰りは早朝ダウンタウンを出発するAmtrakを使わなければならないので、ダウンタウンのホテルにしなければならず、それでも最初は$70程度のホテルだったのだが、この休日は3倍近い値段に値上げしてきたので、出費は痛かったがそれでも少しは安いHoliday Innに変更した。
チェックイン後、少し疲れているようなので一休み…。のつもりが寝てしまった。起きていても雨なのでどこへも行けない。
5:??pm
目覚める。おなかがすいてきたので外へ出る。雨が相変わらず降っているので仕方なく濡れる。近くにCD屋さんがあったので入る。1ヶ月CDを買ってなかったが、$14.99-$18.99とあまり安くはないので5枚程度で我慢。となりはDIESELのSHOPと古着屋さんが一緒になっている。寒冷地対策にニットを2枚購入。他シャツ2枚 計$39。ギリシャ料理の店で夕食。店の時計は既に22:00。ピタを久しぶりに食べた。昼食もそうだったが、カードやTCが使えない。既に現金は$1しかなかったので、あとは自分でなんとかしろと無理矢理TCで払う。雨が酷くなった。これ以上出歩けないのでホテルへ引き返した。
February 18, 2001
Title: San Francisco
10:00am
雨は降ってないようだ。カフェで予定を立てよう。San FranciscoはなぜかSTARBUCKSが多い。ダウンタウンだけで10店以上は絶対ある。ルノアール並に沢山ある。各大通りに一つずつある感じ。2つあるところまである。存在を主張しているスタバに入ってハガキを書く。10枚くらい書いたかな。調子に乗って会社にまで書いてしまった…。ハガキを書いて店を出た。ホームレスは少ないと書いたが、若いホームレスの割合は高い。カフェの前でホームレスのカップルが座り込んでいる。歳が自分と同じくらいだ。旅をしていて金が尽きたのか、誰かに奪われてしまったのか。Californiaに来て初めて小銭をあげてしまった。
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街をぶらぶらしてみる。Frends of Photographyというギャラリーがあったので入ってみた。チケットは$5なので$20で払おうとしたらお釣りがないと言うのでカードで払う。どうやら仲間の写真を公開しているようだ。なかなかよかった。狭いテーブルで本やポストカードを売っているのでみているとACTION SAMPLERがある。$24.50と安かったので買おうと思ったが止めた。そういう被写体が身近にあまりないとおもったし、カメラに限らずあまりマイナーなものばかり買っていては友人が減ってしまう。彼らに持っていたLOMO LC-Aを見せた。そのうちの一人がいうにはほんとはLC-Aを売りたいのだが$250と高いので手が出ないらしい。ウィーンのLomo Societyで承認されたものではなく、日本語のsiteだがウクライナやサンクトペテロブルグで仕入れた物が安く購入出来る鈴木商店のURLを教えた。
こっちにきてから今のところ20本撮った。そのうち6本現像したが、現像するとフィルムが短く切られてしまうので現像に出すのはやめた。
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おなかが空いてなんだかサンドウィッチが食べたくなった。食べた。眠たくなった。Yerba Buena Centerのベンチで休む。少し晴れ間が見えて気持ちがいい。San FranciscoにはSan Francisco Museum of Modern Artという美術館があるというので行ってみる。素直なネーミングなのは仕方ないのだが、SFMOMAというのはどうかとおもった。午前中だらだらしてのが悪かったらしく、まだ閉館はしてないが入場できない。既に夕方のようだ。Museum Shopを見て出たらまた雨…。ホテルへ戻るのにバスに乗ってみようとおもった。ところが財布に思ったより現金がない。Frends of Photographyで最初に出した$20を受け取ってなかったことを思い出した。取り戻しに行ったら閉まっていたが、さっき話した男が中にいて開けてくれた。なんとか$20返ってきた。LOMO力に感謝。バスで帰った。帰る路線が判らないので訊きまくった。$1とLAより安かった。
8:00pm
ホテルに着いた。サンドウィッチを食べたのはもう夕方だったのだろう。全然おなかが減らない。San Franciscoをもう少し知りたいと思い。近くのBarへ行ってみた。そこは普通すぎた。普通の会話で終わってしまった。雨が酷いので帰った。
February 19, 2001
Title: Southbound Train
7:00am
雨は降ってない。帰らなければならないのでCalifornia St.をCable CarでFerry Buildingへ向かう。Oakland行きのバスは8:35amだという。日本人の若者が一人いる。汚れたスーパーのビニール袋にシリアルの箱やブリトーが入っているのが見える。あまり小綺麗とは言えない。バスを待っていると話しかけてきた。時々旅行をしている日本人に話しかけられる。どうしてこう積極的に話しかけてくるのかよく判らないが僕はUniversal StudioやKnott’s Berry Firmへは行ったことがないので大抵なにも答えられない。彼は16才で1ヶ月ほどLAに旅行に来ているようだ。同じようにSan Franciscoに来ていたがお金がなくなったので帰るのだという。今週末はホテルがなくて苦労したという(Ken,you’re correct!)。しかたなく安い相部屋のドミトリーに泊まったらAmtrakのチケットやカメラなど盗まれてしまったらしい。名前はダイスケという。高校へは行っていない。「何故行っていないのか」は「何故行ったのか」を答えるのと同じくらい難しいと思ったので訊かなかった。
9:00am
バスでOaklandへ着いた。列車はまだ着いていない。待合室で待つとダイスケはついてくる。これがよく判らない。なんの為に来ているだろうか。列車がなかなかこないので周りの人間に訊いてみる。暇なのでどこへ行くのだとか会話をする。ダイスケは全く周りの人間とは話さない。他へ行く列車が時々到着するのでみんなで見に行ってこれはどこへ行くのだとかまだ来てないとか話を続ける。ダイスケとも少し話す、彼は9セントしか持ってないという。LAに帰れば友人がいるし、泊まっていたホステルのロッカーに多少現金があるという。ロッカーに鍵はついているかと聞いたら学校のロッカー並だという。そんなロッカーでは現金など今頃あるかどうか判らないのに…。San Franciscoで見た若いホームレスを思い出してしまった。おなかが空いてきた。ダイスケは持っているビニール袋の中の食料を食べるのだろうか。あまりの空腹に耐えかねてダイスケを連れて近く
のサンドウィッチ屋へ行く。サンドウィッチを2人分、コーヒーを2杯頼んだ。
11:30am
列車が来た。2時間遅れている。やはりダイスケがついてくる。降りる駅ごとに車両を分けられ僕らは隣の座席が振り分けられた。色々彼と話をした。「チップを払ったことありますか?」と訊かれたので「いつも払ってないのか?」と聞き返すと普段はファーストフードの安い食事しか食べてないと言う。その割に観光名所のようなところへはかなり行っているようだ。一度彼の言うことは全て嘘で、騙されているのではと思ったが、Amtrakのチケットも再発行されたもので、財布を開けると本当に9セントしか入っていなかった。世間は昼食時だ。昼食の予約を取り始めている。自分だけ食べようか迷った。日本ほど極端ではないがAmtrakの食事も相場より高い。さっきサンドウィッチを食べたので昼食は我慢し
た。
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ダイスケは話しかけてくる。普通の質問なので適当に答える。Coast Starlightは海辺を通り景色がよいと訊いていたが山が多い。牧場なのか牛が沢山いる。とても広い。途中で牛の死骸があった。けがをして動けなくなったのか力尽きたのだろう。
既に白骨のみで骨格がかろうじて牛と判断できる。これはこれでなかなか観られないので、まぁ、よしとする。しかし海岸を全然通らない。
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退屈だ。少し寝てしまった。気が付くと隣でダイスケが何か喰っている。昨日China Townで買ったのだという。ただバレないように食べたかったのか、気を遣っているのか判らない。よく判らないヤツなので、しばらく様子をみることにした。
5:30pm
San Luis Obispoに到着。予定では3:30pmなので2時間遅れている。西海岸の海辺を走る頃はきっと夕日が綺麗だと思っていたがもうムリのようだ。海岸沿いを走る頃には日が暮れているだろう。ダイスケが展望車両へ誘うので、自分で勝手に行けと言った。着ていた上着を棚に上げたまま行ってしまった。たしか上着のポケットに貴重品を入れていたようなのだが…。
??:??
おなかが空いてきた。どうやらダイスケは少なくとも悪いヤツではないというのは判った。夕食の予約を取っていたが頼まなかった。食堂車で2人分払うと$50以上するだろう。今日あった人間にそこまでしてあげられなかった。スナックを売っている車両でホットドッグとチリボウル、ジュースを2本買った。これ以後空腹になることは度々あったが我慢した。Amtrakには他にもなにも食べていないような人間は沢山乗っていた。食べられるだけ選べるだけ幸せだと思った。
8:40pm
列車はSanta Barbaraに到着。2時間20分遅れている。帰りが心配になってきた。このままいくとUnion StationでMetro Railに乗り換えが出来ない。色々な乗務員に何度も何時にUnion Stationに着くのか、Metroの最終は何時だったか聞いてみたが誰も詳しく知らない。Union Stationには0:00amにつくという人もいれば10:30pmから11:00pmの間だという人もいる。自分が乗っている列車の到着案内もかなりいい加減なので仕方がない。2時間47分かかる予定でも平気であと2時間だと放送する。時刻表では45分かかるのにあと10分だという。実際に25分で着いたりするのでどちらも当てにならない。
ダイスケのホステルはHollywood/Highlandの駅の近くで1泊$15するらしいが、そんなホステルのロッカーに入れた現金などもうあるはずがない。どうするつもりなのだろうか。彼が望むのであれば今日はAcademy Villageに泊めてやろうと思った。危険だ、お人好しだと思う人もいるかもしれない、なんとなく自分がヒッチハイクをしたときのことや今まで電車の中で出会った沢山の人のことを思い出した。自分が人のお世話になったことも度々あった。
11:10pm
Los Angeles Union Stationに到着。最終のNorth Hollywood行きに間に合った。
Union Stationのひとつまえの駅。GlendaleのほうがNorth Hollywoodには近いと思ったので時刻表でGlendale駅の電話番号を調べた。Area Codeが同じ(818)なので絶対に近い。ダイスケはトークンが1枚あるのでなんとかホステルには帰れると言っているが、ダイスケの不安そうな顔が横にあるとGlendaleでは降りられなかった。North Hollywoodへ着いたのが12:05なので17時間かかった。ダイスケはなにも言わない。施しを待っているのだろうか。説教をしてもどうにもなりそうになさそうなのでなにも言わずにAcademy Villageへ連れて帰った。リビングには貴重品が多いので今夜はリビングのソファで寝ることにした。
彼には奥のベッドルームを与えたが荷物を全てリビングにおいたまま部屋へ消えて行こうとするので安心するなと注意した。これではドミトリーで盗難に遭うわけだと、なんだか納得してしまった。今日はこの国についてあまり学べなかった。

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