サマソニ終わって翌日再度広島へ。
博多行きののぞみで、午後3時少し前に着く。改札を抜けてエスカーレーターを下ったら母。外のロータリーより駅に近い普通の車道にクルマを停めて待つ父。
新幹線口のロータリーは相変わらず混んでいて、手前の通りからクルマが繋がっている。父曰く、その列に並んでいるといつまでたってもロータリーに入れないのだそうだ。“だそうだ。”といっても実はこれ、迎えにきたときにいつも父がいうセリフなのだ。毎回聞かされるので息子の方も“だそうだ。”くらいの感想しか持たなくなってしまっている。この場合、その話なら前にも聞いたとハッキリ言った方が、愛情なのだろうか。
2歳下の弟は、土曜日に帰ってきて、今朝仕事に戻ったらしい。相変わらず急がしいのか、兄は月末に帰ってくるらしいし、兄弟が顔を合わせることがない。毎年盆と正月がキッチリ休みなのはオレだけ。
懐かしい景色を通り過ぎながら実家に到着する。いまの家には11歳のときに引っ越してきたので、実際はその前に住んでいた家のほうが暮らしていた年月が長い。そのせいで、どうもいまの実家というのは、自分の家という感じがしない。12年も経って、家の中がいろいろ変わったのもあるのだろうけど。どうも帰ってくるたび、なじめないというか、居場所がないというか、落ちつかないの。どうしようもないのだけど。
今回は冷蔵庫が変わってた。いや前からかもしれない。でも住んでたときにあったのは、ぼんやりした薄いグリーンのシャープ製だった。以前住んでた家の近所の電気屋さん(で買う時代だったのだ)がシャープの取り扱い店だったので、家の中がなにかとシャープ製品だらけだったのだ。新しい冷蔵庫もあいかわらず大きくて、いまは両親の二人暮らしなのに、よくもこんなにパンパンにモノがつめてあるもんだと思う。ビールを出して、読書。角田光代の東京ゲスト・ハウス。アジアを放浪してきた若者が共同生活を営む一軒家を舞台に、日本に帰ってきても旅の途中のような、地に足がついてない旅人心理を描いた小説。結局人間どこまで行っても旅の途中なのだと思う。
散歩でもしようかと思ったが、夕立で断念。昼寝してたら、夕食の時間がきてしまった。夕飯は予想外に天ぷら。夏だけど塩で食べたせいか意外とイケた。夕方ご飯を炊いたというので、それは炊きたてを食べなければもったいないとばかりに食べる。やっぱりガスで炊いたご飯はおいしい。ガスの炊飯ジャーは、五合炊きとか大きいのしかないので、一人暮らしには無理なのである。え、電気の炊飯ジャーしか知らないという人がいたら、それは不幸である。と炊きたてご飯好きは思う。飯食って、ワイン飲んでうだうだしてたら、いつのまにか寝てました。
朝起きて、特にやることもないので、iBookでDVD。新ナニワサリバンショーを観る。キヨシローこのころから声出てなかったね。元気で復帰されることを願うばかりです。それと高木正勝のJOURNAL FOR PEOPLE。これはお酒でも飲みながら解像度の高くないプロジェクタで映して観るものだな、畳の部屋で寝転んで観るものじゃなかった。出発前のDVD選びを反省。
昼食をとってから、広島駅へ。夕方には到着する新幹線に乗る。一泊しか出来なかったのは残念だが、戻らなければならないので仕方なし。やり残したことと言えば、久しぶりにローカルなテレビ番組が観てみたかったが、テレビを観る癖がついてないので、観られなかった。あとスターバックスのタンブラーを買い忘れた。地域限定の”hiroshima”って入ってるヤツ。これ読んでる人で誰かゲット出来たらお金は払うので、マジでお願いしたい。
新幹線の中で、本多孝好のFINE DAYSを読む。最後に納められている「シェード」。物語の途中で、アンティークショップの老婆が語る、遠い異国の小さな島の物話。ちょうど豊橋から小田原くらいだったと思うが、夢中で読んでしまった。特に最後2ページの結末は、著者の作品では珍しく心温まる感じ。普段はミステリー小説の愛読者でもないので、素直に楽しめた、いい本だと思う。
東京駅に着いたら、東西線に乗り換えて、自宅へ戻る。唯一時計の電源をコンセントからとっているオーディオの時計は、正しい時刻を指している。どうやら停電にはならなかったみたいだ。
小さなスーツケースから着替えだけ洗濯機に放り込んで、寝た。