六本木のAXIS Galleryで、深澤直人とジャスパー・モリソンのキュレーションによる”Super Normal展“が開催されている。といっても明日までだ。
展示されているのは、深澤とモリソンのデザインによるプロダクトもあるし、エンツォ・マーリのIn Attesaやジャン・ヌーベルのレス、マルセル・ブロイヤーのサイドテーブルB9a、イサム・ノグチのAKARI、ブルーノ・ムナーリの灰皿Cubo、デスクランプのトロメオといったマスターピースもあるが、それらに混ざってカスタネット、ケチャップ・マスタードの容器、丸形名札、アイスクリームスプーン(レジでもらえる木製のヤツ)、どこにでもある釣り銭トレー、ヤマト糊、亜鉛鉄板のバケツ、梱包用ハンドル、牛乳瓶、ゼムクリップ、針金ハンガー、アヒルの卵までが展示されている。
そんないわゆる「ふつう」のモノたちが、とても力強く、頼もしく思える。だいたい定番なものが好きなので、なおさらグッとくる。
人々はデザインに期待する。あっと驚くようなサプライズなものを期待する。それはひとつのデザインの力である。だけどそのサプライズによる「スペシャル」=「ステキ」が、「スペシャルじゃない」=「ステキじゃない」にはならない。「過剰にスペシャル」=「サイテー」だってよくあるし、なにか特別なものをデザインしようとして、本当に大切なものが失われてしまったようなデザイナーズ○○も存在する。
でも一般的には「ふつう」=「退屈」だと思われいるかもしれない。「ふつう」ってあまりポジティブな表現ではない。でもこの世に存在する「ふつう」=「ステキ」を表現したのが「スーパーノーマル」。「スーパーノーマル」はかならずしもカッコいいと言えるものばかりではないが、形態の概念を超えたところで、モノとして存在するための無視できない要素を備えた魅力的なものなのかな。
すごい「ふつう」なものをデザインするのって、かなり難しい。
Special is generally less useful than normal, and less rewarding in the long term.
Jasper Morrison