空港で大トラブル(2/26 – 3/4, 2001)

注)これは2001年の日記です。 まずはこちらを。
February 26, 2001
Title: Truth of Japanese Girl
やたらとFranが日本語を知りたがります。聞くと日本語を覚えたいのだそうです。なんとなくこの間Seanの話していた内容が気になってなくもなさそうですが。
その内容というのは、日本の女性が一番お尻が軽いとかいうお話で、それ以上は書けません。でも安西水丸氏も「それはもう認めざるを得ない。」と何かに書いてました。今日も日本人の女性を連れたアメリカ人男性をみましたが、どうなってるんですかねぇ。我々は真剣だとか言われても、そう思っているアメリカ人もいるので、ま、気を付けられたし。
一応弁護しておきますと、Franの場合は「ワイフがまともな職に就いているから、道ばたで暮らさずすんでいるんだ。」と前から言ってまして、奥さんのCathyを連れていつか日本に行きたいのだそうです。
February 27, 2001
Title: ANA again
またANAへ行きました。相変わらず雨が続いていて道が混んでます。そんなことより、FranがANAの駐車場でライトを点けっぱなしにしていたようで、フライトスケジュールを変更して帰ろうとしたら、バッテリーが上がっていました。仕方なく雨の中、クルマを押してエンジンをかけようとするのですが、一人で押しているので力が足りないらしく、うまくいきません。さっき会ったANAの人間に助けを求めても、従業員の誰かが持ってりゃいいだけなのに、ANAはそういうケーブルは用意してないの一点張りで、ビルの駐車場に止めているのなら、ビルのセキュリティで聞けと、変な筋を通そうとする日本人のおばさん(今日のところこう呼ぶのは、失礼でもなんでもない)に言われてしまいました。
ケチ。
しかしANAはトヨタのビルのビルに入っているので、ここはトヨタのビル。トヨタはFranのホンダカーにはバッテリーチャージすらしてくれないそうです。
おまえもケチ。
しかたないので雨の降らない立体駐車場の中にクルマを移動させることにしました。押しているとFranがなにやら言っているので、よく聞くと「いいぞ、もっと押せ。」といってます。ほんの少しスロープになっているようで、頑張って押しました。
あー、動いた。
February 28, 2001
Title: Travail
今日はね、最悪でした。
Californiaを去る感傷に浸る間も与えてもらえませんでした。朝OfficeでGood Byeを言ったあとLAXへ向かったのですが、セキュリティのトラブルで空港は閉鎖状態で、全てのフライトが遅れるか、酷いものはキャンセル。しばらくチェック・インも出来ないし、チェック・インが済んでもセキュリティ・ゲートを潜れないので大混雑でした。
相当な時間待ってようやくチェック・イン完了。こんどは荷物を預けにまた再び列へ。荷物を預けると、ゲートへ続く列へ。外にまで溢れているので1000人以上並んでます。Los Angeles Timesの記者がインタビューをして廻っているので、そうとうな事態なのかも。全然列が進まないので、だんだんイライラしてきて他のゲートを探しました。が、見つかった頃には飛行機は行っちゃっていたのでした。
あらー。
仕方ないのでカスタマー・サービス・カウンターで別のフライトにしてもらいます。が、そこも長蛇の列…。同じように乗れなかったり、キャンセルにあったりした人が大勢いるようです。なんとか別の便にしてもらい、チケットと$7の空港内昼食券を受け取りました。$7でかたをつけられたような気がしてますます、腹が立ちましたが。新しい便が出るGate 75Bへ行ってしばらく待つことに。
ところが、ゲート前の搭乗案内にJFK行きの便の表示がいつまで経っても出ないので、確認すると、Gate 66だそうです。チケットには75Bなのに。そのとき判ったのは新しい便は同じNew York行きではあるけれども、JFK行きではないNewark行きのチケットだったのです。
これはまずい。ぼくの荷物は既にJFKへ向かって飛んでいます。再び、カスタマー・サービス・カウンターに並ばなくてはならないのに、まだ列は長く続いております。
基本的にアメリカ人はやりとりが長いです。レストランでも「もっと辛くしてくれ。」とか「マヨネーズは抜いて、タマネギはいっぱいにしてくれ。」とか「半分のサイズにしてくれ。」とかメニューに有る無しは関係ないようで、みんな何かしら注文します。ぼくも最後の方は「ブリトーは豆をぬいて、そのかわりライスを2倍にしてくれ。」とか言うようになりました。こんな人たちだから、カウンターでもいろいろ聞いては電話をかけさせ、長い人は30分以上は話してます。普通に再発行してもらうと5分はかかりませんが、誰もそんなに早くは終わりません。困った。しかたないので、他のUnited Airlinesの人間に「なんとかしてくれ、これ以上列に並びたくないし、今日中にJFKへ行かなければならない。」といっても「管轄外なので、何も出来ない。列へ並んで聞いてくれと。」と言われてしまいます。やっと順番が回ってきた頃にはもう4:00pm。空港へきたのは10:00am。それでもカウンターで「New Yorkへ行きたいのなら、このチケットでいい。もう出発するからゲートへいったほうがいい。」などと言うので、「荷物はもうJFKへ行ってるから、JFK行きに変更したい。」と言うのですが、「荷物もきっとNewarkへ行き先が変更になっているから心配ない。」といい加減なことを言うので、「頼むから、JFKへ連れてってよ!」と怒るとJFK行きのチケットを発行してくれました。離陸時間は4:30pm。走ってなんとか間に合い、NYへ着いたのは00:10am。それからタクシーを捕まえたのですが、これが失敗した。
拾ってくれたタクシーはホテルまで$37.5でいいと言う。大体$35くらいだと聞いていたので、そんなもんだなと思って乗った。ところが着く頃になって、$3.75/mileだという。チップを入れると$85だと運転手が主張する。「払えない。」vs「払え。」を30分くらいやりました。$80も現金がないので、どうしても払えないのです。運転手もあまり質のよいタイプではなさそうだし、変なところに連れて行かれては…、と思ってTCをホテルで現金に換えて、払いました。ということで現金が全然なくなってしまいました。あー、酷い一日。
Travailというのは古い言葉で、おそらく苦行という意味で、Travelの語源だそうです。ちなみに日記の中の”~だそうです。”というのは全てつたない英語力で聞いた話で、あまり信用できませんので。
March 1, 2001
Title: NYC
気が付けば、3月。一応平日なこともあってまず48st St.の楽器屋さんにいったりしました。もっとお店があるのかと思っていたら以外とこぢんまりとまとまってました。間違えたかな?それからCentral Parkへ行きましたが、平日の昼間っから公園で遊んでる人などあまりいませんでしたね。それから、どうしても行きたかったMOMA(Museum of Modern Art)へ。一部改装中の為、全てを観ることが出来なかったのが残念。
しかし今日は油絵にいたく感動してしまいました。Van Gogh’s Postmanという展示でゴッホが何枚も描いたJoseph Roulinという郵便屋さんの肖像が世界中から集められていて、かなり興味深いものがありました(巧く言葉にならない)。他にもアンディ・ウォホールのGold Marilin Monroeとか、ダリ、セザンヌ、ピカソ等々。でもゴッホが一番絵にエネルギーあったと思う。
それからやっぱりバスやら地下鉄に乗りたくなるのでバスに乗ってEmpire State Bldg.へ行きました。上りませんでした。とても高くて、相当離れないと写真に納められませんでした。そしてやっぱり地下鉄に乗らなくてはと思い、とりあえず行き先をStatue of Libertyにすることに。なんでも良かったのだけど、今回は地図を買わなかったので全て人に乗り方・行き先を聞かなければならなく、それらしい行き先が欲しかった。ただそれだけです。地下鉄・バスともに1回$1.50でした。Statue of Libertyへの最寄り駅へついても女神像ははるか遠く。付近からフェリーが出ているようだ。海の上からならもう少し大きく見えるかもしれない。それらしきものがないのでフェリーのチケットはどこで買えばよいのか判らなかったが、出航が近いのでとりあえず乗船。NYでキセル。フェリーはゆっくり女神像横を過ぎていく、以外と頭がデカい。6頭身くらいかな。フェリーは近くの島に到着。島できっとチケットの提示を要求されるのだろうと思っていた。普通フェリーは距離の割に運賃が高いので$5.00くらいは覚悟していたのだけど、なんと”No Fee Required.”と書いてある。なんだタダなんだ。でも改札口が残っているので昔は有料だったんだろうな。
March 2, 2001
Title: Tube
早起きしました。9:15amの飛行機でLondonへ。結局Los AngelesからLondonまで独りで行動することになった。5:00amに起きたら雪降ってました。もの凄く寒いと聞いていたけど、なんとか外を歩ける気温です。大騒ぎするほどではないけど巻いてるとフィルムが1回切れたことがあったので、寒いのだろうな。それでもニューヨーカーは毎日「今日は寒い。」と言っています。
Londonへのフライトはすんなりいったし、着いたら9:30pmだったので、ホテルへ地下鉄でいってみることにした。初めての街だし、ホテルの名前と住所だけでは駅からどれだけ離れているのか、歩いていけるのか判らなかったが、「まぁ、なんとかなるだろう。」程度に思って乗ってみた。行き先を調べていると乗ったのは10:00pmを過ぎてしまっていた。Heathrowから一番近いだろうと教えてくれたHampsteadまでは£3.60。Oakwood行きのPicadilly Lineに乗って、Leicester Squareで乗り換え、Edgware行きのNorthernLineでHampsteadで降りました。NYの地下鉄が一番汚かった。格子が沢山あって檻のような感じ。LondonのUndergroundはLos AngelsのMetro Railよりもきれいだし、乗っている人もわりと普通。安全だと思いたい。なにもわからないので、とにかく尋ねてなんとかHampsteadに到着。12:00am駅に貼ってあった付近の地図を見る。ホテルは書いてない。遠いのだろうか?外は再び雪が降っている。人がまだ歩いているだけラッキーだった。尋ねるとホテルは坂を降りていったところだという。坂を下る。ほんとにこの道なのだろうか?不安になってきたが、今は坂を下るしかやることがないのでひたすら下る。15分くらいはかかったかな。ホテル到着。タクシーの相場は£35なので1/10で済んだし、Londonの人たちとも話せたのでよしとする。ねむたかったがとりあえず日記を書いた。モジュラージャックの形状が違うためサーバーに転送できない。LAでユニバーサルプラグがついたボルテージコンバーターを買って安心していた。明日どこかで買おう。
March 3, 2001
Title: Hampstead
昼まで寝てしまった。今日はやらなければならないことがあった。ホテルを出て歩いてみた。昨日はもう夜中だったし、雪で周りはよく判らなかったが沢山お店がある。ホテルには一つ手前の駅、Belsize Parkの方が近かったようだ。ラボがあったのでフィルムを買う。昨日JFKでフィルムを入れたカメラをスーツケースごと預けてしまった。検査でフィルムが感光していたら、これから撮る物が全て無駄になるので替えた。出したフィルムは帰って、どうでもいいときに使おう。英国に来たのでILFORDのフィルムにしてみた。£4.29。そんなものかな。Kodakのカラーネガフィルムと同じ値段だった。ロシア製カメラFED2があり、£75と微妙な値段だったので見るだけでやめた。Sheratonにフィルターを忘れたので購入。The Linkという店で電話線のアダプターを見つけた。US→UKとUK→USが2種類入って£9.99。1種類で充分なので少しためらったが、これしかなかったので買う。郵便局を探した。駅の近くにあるというので行ったらBelsize Park駅前の郵便局は閉まっていた。歩いて坂を上りHampstead駅の下の郵便局で切手を購入。£0.40。
March 4, 2001
Title: Double decker
バスに乗ってLondon観光。古い建物が沢山残っていて、良い感じでした。アメリカと比べると国も道も小さいせいか、VW Golfみたいな小さいクルマが多いです。TUBEの車両は白ベースに赤・青・黄色が巧く使われていて、とてもかわいい。規制が厳しくて同じ形で同じ色ばかりの日本と比べると、携帯電話も線が柔らかくて色づかいもきれいです。

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